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アベノミクス考:企業・国家・国民、三つの経済主体の皆が得すれば結構なことだ。国内立地のごく一部の輸出企業のみが得をし、国民・国家・大多数の企業が割を食ってる。しかし、儲かっているはずの輸出企業も中国などのバイヤーから円安30%分の値引き要求をのまされてちっとも良くなっていないと団交で聴いた。この企業は長期の為替予約で凌ぐ方策も講じていないのか、団交で嘘をついているのか。知識がなければ、大抵の企業内組合は騙されてしまう。円高で従業員は賃金カットを受け、円安で会社は中国に値引きを飲まされてしまう。グローバル化、国民国家の崩壊でこんなことになってしまう。

  

週刊金曜日(2011年11月4日 870号)に掲載されました。

 1956年から原発推進を掲げ、原子力ムラの一翼を担ってきた原発推進組合は3.11 以降、沈黙を続け、殊勝にも「謹慎」してきたように見える。天下の大企業労組の社会的責任からすれば、謝罪の見解表明をし、かってのゼンセン同盟の不祥事のときのように連合や 対外関係から役員を総引き揚げして「謹慎」すべきだった。史上最大の原発事故から半年、 東電や関電の労働組合でつくる電力総連(22万人)は9月6・7日定期大会を開き、その 運動方針から実に56年目にして「原発推進」の文字が消えた。しかし、「脱原発」に転じた のではなく、大会論議を聞く限り、「原発推進」は堅持しているようだ。この間、電力の旧民 社系国会議員は「懲りない」発言を繰り返していたから、「想定内」のことではあるが・・。 今後、連合内では電力総連と気脈を通じて、原発製作メーカーある造船重機(現在の基幹労 連)、同じく原発御用達の日立・東芝を抱える電機連合などが、前面に立って「原発推進」の 旗振り役を演じていくらしい。連合の政策制度要求の決定システムは、国連の安保理と同じで、有力組合が「拒否権発動」すれば、「原発廃止」どころか「脱原発」すら決定できない。 80年前後には、中国電力労働組合(全電力、少数派)が山口県豊北の反原発運動に連帯 してビラを作成・配布し、これを会社が組合役員を処分し最高裁まで争われた事件もあった。中国電力事件(最高裁平成4年3月3日判決)で、組合活動の正当性を逸脱したものとして負けたが、今であれば組合側が勝っていただろう。石川島播磨重工(神奈川、現IHI)の労働者が反原発入門書を作成するなど、電力のなかでもま ともな労働運動がみられた。全国的な盛り上がりとならなかったのは、運動が直接利害の関 わる「地元」の人々に限られていたから。3.11によって、いまや原発被害は全国化、国際化、 30年~45億年(放射性崩壊の半減期)と普遍化した。愚か者でない限り「原発賛成」は口にできない。

陸山会事件判決と労働委員会、その事実認定手法の違い

「証拠に基づく事実認定」(裁判所)と「推認による事実認定」(労働委員会)の違い
 9月26日、陸山会事件、いわゆる小沢一郎の元秘書三人が政治資金規正法違反(虚偽記載という形式犯)に問われた事件の有罪判決(東京地裁)があった。しかし判決要旨は、政治資金規正法違反というよりは原資の不明な土地購入資金四億円をめぐる贈収賄事件の趣きの方が強い。もとより検察が立件しなかった贈収賄を裁判所が推認(推理・認定)という手法で事実認定してしまった。裁判では「証拠の基づく認定」が大原則、「疑わしきは罰せず」はこの直接証拠主義から帰納したものだ。陸山会事件判決のように推認で事実認定してしまうと裁判所と検察が一体のような印象をもたれる(本来の刑事事件では一体そのもの)が、労働委員会は違う。

清水潤子さん、悔し涙は明日の闘いの糧になる!自治労滋賀の書記不当解雇事件高裁判決

 清水さん、泣かないで。二回、三回、9/21大阪高裁判決文を判読しました。有期労働契約の反復更新のへ規制は二つの最高裁判決の枠組みからなっている。二つの判例の枠組み規制とは、①期間の定めのない雇用契約と実質的に異ならない状態になった場合(東芝柳町工場事件)、②期間の定めのない雇用契約と同視できない場合でも労働者の期待利益に合理性がある場合(日立メディコ事件)、この二つの場合、解雇権濫用法理を類推適用すべきとするものだ。

ドキュメントをUPしました。

[著書・論文]のコーナーに、「連合の構造問題と運動変革」をUPしました。

最後の職革=樋口篤三さんの遺稿集、おまたせ刊行

 先にご案内の、樋口篤三さんの遺稿集が刊行されました。「革命家・労働運動家列伝」(第一巻)、「オルグ・労働運動・戦略」(第二巻)、各2000円、同時代社刊。天皇家の「日本史」や改竄された「党史」、いわゆる「正史」は存在するが、国や党のために死んだ戦士の「民俗史」はない。この、樋口篤三の遺稿集第一巻「革命家・労働運動課の列伝・追悼集」はその民俗史でもある。24プラス1名の評伝や追悼文を搭載している。17才で山村工作隊、吹田・枚方事件を闘った故・脇田憲一さん(履歴は大阪総評オルグほか)は樋口さんのことを、「20世紀後半から21世紀に橋を架けた日本の革命的オルガナイザーを二人選ぶとすれば、私は躊躇することなく東の樋口篤三、西の上田等を挙げるだろう」(同時代社刊「樋口篤三さんの見果てぬ夢を語り継ぐ」p173)と追悼している。近日中に遺稿集を写真でUPして、詳細にご案内します。

原発推進の「ちょうちん持ち」になり下がってた連合

いま、東北大震災はマグニチュード9の大地震、15メートルの津波にレベル7の原発事故が重なって史上最大の災忌である。原発事故は起こるべくして起こった人災であるとの思いを強くしている。いわゆる「原子力ムラ」の連中が原発推進の「シテ役」ならば、その「ちょうちん持ち」の役割を演じさせられたのが民主党と連合だった。

「樋口篤三遺稿集」の刊行、間近か

 樋口篤三遺稿集第一巻「革命家・労働運動家列伝」、第二巻「オルグ・労働運動・戦略」が近々に同時代社から刊行されます。ゲラの校正が終わった段階で、刊行日程が決まりましたら改めて御案内します。

「橋下知事の大阪都構想に反対」朝日新聞関西スクエアに投稿

大阪都構想に反対、と言うより怖い
不況の時は漫才がはやる。いま、労働者・市民は「ぼやき」もでず、「悲鳴」もあがらず、閉塞状況のなかにある。過去、大阪の無党派旋風が愉快犯的に吹き荒れたように、橋下知事の大衆扇動型政治(敵を設定、攻撃して支持を集める)のアジテーションが無辜の民の「怒り」に点火するのが怖い。「大阪都構想」の是非を冷静に理解できるよう、メディアは役割発揮を、政党は対案提起を。公務員組合員を抱えた連合大阪は大衆行動を。労働運動の情報発信はデモしかないが、静かすぎる労働組合がもっと怖い。

17歳で山村工作隊(独立遊撃隊)、生涯運動家の脇田憲一

 私と脇田憲一さんとの出会いは38年前の、1973年。当時、私は総評全国金属の駆け出しのオルグ、若気の至りもあって、脇田さんが勤めていた会社の東洋シャッターで大争議をしでかす。当時、脇田さんは社長室か、企画室だったか、経営中枢におられ、直後、会社役員になるのが嫌で退職し、大阪総評のオルグに転進する。爾来、総評労働運動のなかで親しく付き合うことになる。
 私が脇田さんに魅(ひ)かれたのは、彼が共産党の武力闘争方針、山村工作隊(独立遊撃隊⇒将来の人民軍)の隊員であったこと。山村工作隊にまつわる話しにはじめて出会うのは40年超も前の大学時代、高橋和己の小説「憂鬱なる党派」のなか、主人公の西村恒一の語りを通じてである。脇田さんは、共産党の武力闘争方針に忠実に従い、枚方事件と奥吉野山村工作隊として闘う。その体験は17歳(定時制高校)から20歳までの三年間。脇田さんの自分史でもある「朝鮮戦争と吹田・枚方事件」(明石書店刊・844頁の大著)を二度読んだが涙が出て仕方なかった。そのあとがきのなかで、脇田さんは「私の人生の決定的な体験、その精神的体験は日本共産党の軍事闘争時代の三年間であり、運動的体験は大特(注:大阪特殊製鋼)闘争時代の七年間であった。後の運動人生はそのバリエーション(変奏曲)であったにすぎません」と述べている。

明けましておめでとうございます。


本年もよろしくお願いします。